ココロの《音》調整
〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉を、望む人生をつくりだすものへと
ご自身の《声》で調整するソリューション
言葉という《音》で世界は認識できる
視覚と聴覚の重複障害者、ヘレン・ケラーさんのお話は誰もが一度はお聴きになったと思います。熱血演劇マンガ『ガラスの仮面』の作中では、『奇跡の人~ヘレンケラー~』のお芝居として紹介されているのですが、演技の終盤、目も見えず耳も聞こえないヘレンが、水を触り「ウォータァァァァァー!」と叫ぶ感動的なシーンがあります。それまで、自分の世界に言葉がなかった彼女が、ものには名前があるんだと発見した瞬間です。
この瞬間から、彼女がどれだけのことを認識し、世界への理解が進み、他者とのコミュニケーションが可能になったのか、その爆発的な知覚の拡大は凄まじいものだったと想像できます。
この世に存在するありとあらゆるものには名詞が付けられ、それぞれ動きや状態、関連性や構造を伝える無数の言葉があります。これらの言葉が一切なかったとしたら、人間としてどのように世界と関わることができるのか?まったくもって想像すらできません。
逆を言えば、言葉をもっと駆使すれば「能動的に、積極的に世界と関わる」ことが出来るようになるのです。
セルフイメージと観念フィルター
言葉が現実をつくりだすメカニズムは、〈細胞生物学〉〈脳科学〉〈心理学〉〈言語学〉〈量子論〉など、様々な分野からいま急速に解明され統合的な体系が出来つつあり、ココロの《音》調整の根幹を成しています。
私たちは、誰もが〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉というものをもっており、それらはすべて、例えば「私は人の役に立たないと価値がない存在です」というように言葉で構成・成立しています。 そして、私たちは良くも悪くも、自分の〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉が正解であると証明する人生をおくります。
これを実感するのに、簡単な実験をしてみましょう。
いま、部屋の中を見渡してそこに〈木製品〉がいくつあるか、数えてみてください。
…………
あなたは、部屋の中にある〈木製品〉がいくつあるか数えましたが、〈プラスチック製品〉がいくつあったかは、数えていませんよね?
脳は、自分がフォーカスしている内容にだけ反応し、フォーカスしていないことにそもそも関心を示しません。そして、〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉は日々繰り返される膨大な判断の基準になっています。もし自分の〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉が誤っていると感じていたなら、何も判断できなくなってしまうのです。
ですから、自分の「〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉は正解である」ことにフォーカスし続けて、それと辻褄があっている現実にばかり関心をもつことで、正解であることを無意識に証明し続けているのです。
信じ込みと考え方のクセが、人生の行き先を決めてしまう
〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉は、単なる信じ込みや考え方のクセにしかすぎません。
ですが、瞬間瞬間に湧き起こる無数の思考や、様々な場面で感じる多様な感情・感覚がどのような反応をするのかは、自身の〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉の影響を多大に受けており、人それぞれ異なります。例えば、…進みたい方向の前に壁がある…という状況をイメージしてください。
ある人は、「ああ、こっちに進むのはやめておいた方がいいってことだ」と断念し、
ある人は、「もう、いつも何かやろうとすると邪魔が入る、なんでなの?」と困惑し、
ある人は、「ようし、この壁を乗り越えてこそ自信もつくってもんだ、やるぞ!」と決断するでしょう。
この差は、それぞれの〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉が多分に影響しており、それぞれのリアクションがまったく異なる人生をつくりだすのを想像できると思います。
そして、もし〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉が間違っているかも?正しくないかも?と感じている人がいたなら「この壁のように感じるのはなんだろう?…どう解釈すれば良いのだろう?…私はどうしたらいいのだろう?…」といった優柔不断で、なにも決められない状態になることも想像できると思います。
さらに、これがもし生き残れるか?死ぬことになるか?の判断だとしたら、結論を出す前にポカンとしたまま死ぬことになるでしょう。ですから、自分の〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉は正解であるという前提に立ち、生き残るために有利な判断をし続ける必要があるのです。その為には、その正しさを証明する現実という後ろ盾・証拠が必要なのです。
こうした活動は間違いでも誤りでもなく、「人間の脳の機能がそうなっている」というだけですが、もっと深く俯瞰すれば、暗闇という世界の中を〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉というサーチライトで照らして、映し出された現実だけを現実だと認識しているようなもの…とも言えます。
サーチライトが映し出している現実以外にも現実はあるのですが、その情報は脳を素通りしてしまい、まるで存在しないかのように扱ってしまうのです。このことは、あなたの人生が「自分の〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉によってプログラムされた方向にだけ無意識に進んでいく」ということと同義です。
世界は自分が加工している
例えばあなたが、「私は無力で、世界は厳しい」という〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉を持っていたなら、「ああ、やっばりそうだ」という体験をした際、その認識が証明されたという感覚を強化していきます。
仮にそうではない体験をしたとしても、「たまには、そんなこともある」「それは、運が良かっただけだ」と興味を抱かないか、否定的な捉え方をして、あたかも無かったことのように脳を素通りしていきます。先ほどの実験で、〈プラスチック製品〉は全く数えなかったのと同じ反応は、あらゆる場面で生じています。
さらには、「私は無力で、世界は厳しい」ということに関連しそうな情報に積極的に触れていったり、似たような他者の話題に同調したりすることで、「世界は厳しく、私は無力だ」という強固な認識を持つに到ります。この強固な認識は、良くも悪くもあなたの人生の方向を決定づけるプログラムとなるのです。
そして、他人や世界もあなたを「厳しく、無力な存在」として扱い始める…ということが起きます。これは、ココロの状態が、人間関係や物理現象にまで影響を及ぼすからです。このメカニズムは、最先端の量子脳理論を筆頭にさまざまな分野で研究されており、科学者による実験で決定的な証拠が出揃っています。「私たちが観察しているのは、自我そのものだ」と言い切る学者もいるほどです。
このように、あなたが現実だと思っていることは、自覚の有無に関わらず、自分のプログラムに合う様にどんどんと自動で加工された現実だと捉えてください。
もし、あなたが病気・不運で悩まれているなら、それはフォーカスが病気・不運になるような〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉に向けられており、それが正解であり続けるために、わさわざ病気・不運な状態をつくりだしている可能性が高いのです。
ここに、具体的な解決の糸口があります。
そして、着替えるように目を覚ます
〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉は〈ライフ・コンディション〉に影響し、〈ライフ・コンディション〉は、ビジネス、夢の達成、人間関係、恋愛、結婚、妊娠、子育て…等々、人生のあらゆる体験をいままでも、このさきも、つくりだします。その体験が、自分にとって望んでいるものか否かは? どのような〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉を使っているか? で決まります。
そして、〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉のほとんどは、幼少期の親子関係をはじめとする様々な人生体験により、外部から着せられた信じ込みや癖でしかありません。実は、本当にそれが唯一の正解であるのか、誰もが納得するように証明することも根拠を示すこともできないことばかりなのです。例えば、
「自分のやりたいことで成功するわけがない」
「自分のやりたくないことで成功するわけがない」
このような相反する信じ込みを根強く持っている二人が、成功する方法について議論したとしても、自分の信じ込みこそ正しいと一歩も譲らず合意に至ることはないでしょう。
そして、それぞれの信じ込みが正解であることを、それぞれの人生で証明しようとし続けます。
ここで重要なのは、「わたしなら、どちらの信じ込みが正解である人生を過ごしたいか?」 という、主観的で内的な選択をしていくことです。自由に信じ込みを選択し、能動的に人生にプログラムしていくことなのです。〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉が単なる個人個人の信じ込みや癖であるなら、もっと自分自身にとって都合が良いようなものに着替えてしまえばいいのです。
色も形も嫌い肌触りも悪く動きにくいジャケットを着込んでうんざりしているのなら、まずはそのジャケットを脱いでみることです。そして、あなたがすっかり忘れているもっと素敵でとてもお似合いの沢山の服の中から、いま一番快適で着たい服に着替えれば良いのです。
もしいま、病気や様々な問題によって自分の人生を生きる悦びを感じられないのであれば、いままでの人生をプログラムしている〈セルフイメージ〉と〈観念フィルター〉を、望む人生を生みだすものへと変えていくことが私たちには可能です。